身に覚えのないでっち上げDVの対処法について

私は、30後半の会社員で、8歳の一人娘と、当時33歳の専業主婦の家内ががいました。元妻は、私に全く身に覚えのないでっち上げDVの話を持ちかけてきて、最初は、何の話かさっぱり判りませんでした。

そのでっち上げDVの内容とは、子供が出来てから、全く夜の夫婦生活が無くなり、妻に対して、私が無視をし続けている、ショッピングや、出かける事も制限されるし、威圧的な態度をとられると、怖くて話も出来ない、結婚生活で苦痛を感じるほどのDVを受けている、という内容です。自分では、そのように妻に思われていたことなど、全く気が付かなかったし、自分でも、相手にDV行為をしていたとは、思えませんでしたので、この話を聞いた時は、頭が真っ白になるくらい、訳が判らない状態でした。

妻と話し合いの時間を持とうとしても受け入れてもらえず、困った私は、友人に相談してみました。2人の友人に相談した所、夫婦の事は、二人で解決していった方が良い、という意見と、もしかしたら、でっち上げDVで奥さんが何が何でも離婚したいのではないか、というアドバイスをもらいました。自分としては、全くでっち上げDVなんて考え付きませんでしたので、これが本当の事なら、もう、夫婦関係の修復は出来ないだろうと思いました。

この話が出てから、お互いに家庭内別居状態が続き、このまま婚姻生活を続けていても、お互い意味もないし、子供がかわいそうだという気持ちになりました。

そこで、友人に紹介してもらった専門家である、弁護士の先生に相談した所、でっち上げDVの可能性が高く、最近は、良い条件で離婚したい為に、でっち上げDVで、離婚するカップルがとても多い事を知らされました。このような事が自分の身にまさか起こってしまうとは考えもしませんでしたが、やはり、でっち上げDVの話をされた時点で、修復不可能だと思いました。そこで、離婚するに当たり、3つの大きな条件をクリアしなければいけませんでした。

それは、財産分与や慰謝料と子供の親権、そして、養育費の問題です。私からすると、でっち上げDVで離婚する事になったのだから、慰謝料ももらいたい位の気持ちでした。けれども元妻からすると、結婚生活で、長年相手からのDVに耐えてきたのだから、当然、自分に有利な方向で離婚を進めて行く為に、お互いに弁護士を立てて、泥沼の離婚裁判が始まりました。たとえでっち上げDVが事実だとしても、でっち上げDVを証明する事は出来ませんので、ほぼ、相手の思惑通りに裁判の判決が下りました。

5年前に行われた妻との「でっち上げDV」での離婚調停

今から5年前の出来事です。私(当時32歳、4歳になる娘あり)と妻(29歳)におきた、通常では無いでっち上げDV離婚騒動について記させて頂きます。

もともと夫婦仲は冷め切っていましたが、あるときから妻が「最近夫が暴力を振るう」と言いまわっていると共通の友人から伝えられ、その事で妻を問いただすと「振るわれているのだから仕方ない」と信じられない回答がありました。

尚、当然ですが妻に手をあげた事など今まで一度たりとてありません

むしろ妻の方からお皿を投げられたり、蹴られたり等軽いDVと言えるのじゃないか?という行為はしばしばありました。

その事を伝えると、「あなたが暴力を振るうから正当防衛でやっている!」と言われ、これはもう妻の中では私が暴力を振るっている事(=でっち上げDV)になってしまっているんだなぁ…と修正不可能な想いを抱きました。

妻が言いまわっていると教えてくれた10年来の共通の友人に相談した所、(妻とも長い知り合いの為)「妻がでっち上げDVを言い出しているのか、そうでないのか、どちらが正しい事を言っているか分からない」と言われました。また、どちらが正しいにせよもう修復は不可能だと思うから離婚をした方がよい、とも言われ友人の従兄弟の弁護士を紹介してもらいました。

妻に離婚の話を切り出すと喜々として話に乗ってきて、既に弁護士を雇ってDVの証拠を集めているから待っていろ!と伝えられてしまいました。

その事を自分の弁護士に相談すると「絶対に暴力を振るっていないですね?」と念押しがあり、「絶対に一度もその様な事はしていません、でっち上げDVです」とお話し、そこから妻と私でのでっち上げDVとの戦い=離婚(示談からの調停)に向けての戦いがスタートすることになりました。

後述する事となりますが、未だに女性の言葉というのは強いです。私の暴力を振るっていないという意見よりも振るわれた!という妻の意見に重きを置いて事実確認が進められていたのは間違いありません。しかし、あくまでも真実でないでっち上げDVである事でいつか必ず綻びが生まれてきます。粘り強く事実確認する事により整合性がとれない妻の発言・メモ等が露呈していくからです。

もしこれを呼んでいる近いお悩みをお持ちの方がいらした場合、最後まで諦めず粘り強く進める事で必ず真実に辿り着く、それとその気持ちを汲んでくれる弁護士さん(個人的には人柄を重視、でっち上げDVに怒りを覚える方)を探す事を強くお勧め致します。

話は戻って相手方との最初の話し合い(妻・相手弁護士)にて相手の弁護士はとても強気な態度で話を進めてきました。

妻から、DVをされた日時・内容等を記録したノートがあるからだと自身満々な様子で、こちらの反論については聞く耳をもちません。

具体的内容としては、慰謝料請求・子供の親権は妻持ち・養育費は子供が大学卒業まで・財産分与無し(全て妻)他細かい条件も全て妻有利状態。

以上が呑めない場合、刑事告訴も視野に入れて話をする!と言われましたが、こちらも予測していたので慌てずに静かに「DVの事実は一切ありません、でっち上げDVです。こちらはその事実を元に進めさせて頂きます」とだけ告げ、調停となりました。

離婚調停の詳細を書くと小説が出来上がってしまう位の長さとなってしまうので省略致しますが、妻の証言・時間・ノートに記載された事実の確認が取れない事、また、決め手となるDVの傷跡等が一切認められないでっち上げDVである事が証明され(ここまでで約1年かかりました)、ほぼ妻が私に求めた賠償は全て逆に妻側へ請求される事となりました。

DVの事実無し、妻から私への名誉毀損等の結果が出た事で社会的に勝利となる結果を得る事で、今の妻との結婚の際に一文無し・下手すれば犯罪暦がつく状態にならずにすみました。

女性有利の示談・調停の中ですが、諦めずに頑張ってよかったと思っております。もし同じ様でっち上げDVでの苦しい境遇の方がいましたら、心からエールを贈らせて頂きたいと思います。

でっち上げDVの対策について参考になるサイトもありますので是非ご覧になってみて下さい。

子供の教育が原因で離婚しました

私と妻(元妻)は、子供の教育を巡って家庭内で対立してしまいました。

婚姻期間は8年で、子供が生まれてから7年です。私ののびのびした育成方針と、妻の考えるエリート意識では大きく対立してしまいます。そこが離婚に向かって進んで行ったと考えられます。

まず、子供が生まれた時はお互いが幸せでした。ですが、4歳くらいの時に妻が受験を意識した生活に切り替えます。私は初めての子供だったので、ゆっくり育てたいと思てましたが、妻はそうではありませんでした。

近所で幼稚園の受験が始まると妻も子供にスパルタで教育し始めました。その頃から口論が多くなり、妻の完璧主義のような考え方に辟易していました。幼稚園は私の最終的な判断で公立に入れましたが、今度は小学校の入学に関しての受験を模索し始めたのです。

その理由が「近所の子で私立に入ろうとしている子がいるから負けられない」というくだらない理由でした。私は諌めて落ち着くように言いましたが、どうやらお母さん方の意地の張り合いが根底にあったようです。ですが、「親に恥を掻かせる子供は嫌い」と発言した事で、私と口論が再燃しました。

妻からは「離婚して私がこの子を育てたい」と申し出がありました。これは離婚する一年前の話です。その後、私はやり直せるように幾つかの提案をしましたが、私の存在が子供の向上心を妨げているという理由で否定され続けました。

離婚せずに再構築を模索していましたが、遂には私も心が折れてしまい離婚は承諾しました。ですが、今度は子供の親権を争う形になりました。その最中に子供が沢山暴れる事が多発したのです。専門の病院で調べてみると発達障害でした。

その事が分かると妻は子供から手を引き、離婚に無条件で応じる結果になりました。そして、今は私と両親と子供の4人で暮らしています。月に一度の面会にも来なくなりました。やはり、あの時に離婚に応じていて正解でした。もし、まだ離婚してなかったら子供への虐待が心配です。

国際結婚から同居になり、家族崩壊

私は32歳のトラックの運送をしている男です。5年前に離婚を経験しました。

その離婚が原因で私の家族は精神的に壊れていきました。今でも思い返すと、怒りと悲しみに襲われることがあります。

離婚した妻は中国人でした。

私の一目惚れで交際が始まったのですが、妻はまだ日本にきて間もなかったので、日本語は上手く話せませんでした。日本に馴染もうとする一生懸命な姿が愛らしく、私の気持ちは強くなっていきました。

結婚することを決意し、親に妻を紹介しました。交際期間中に会わせたことはなかったので、親は戸惑うばかりです。最初、親は反対をしていました。国際結婚など長く続くはずがないと決めつけられていました。

何度反対をされても私は諦めることはしませんでした。私の強い気持ちが伝わったのか、両親は渋々、承諾してくれました。しかし、最後まで兄は反対でした。「中国人と結婚するなら縁を切る」とまで言われました。

私の両親と同居することになり、新婚生活が始まりました。しかし、妻の態度は結婚してから大きくなりました。位が高い中国人の女性は結婚すると働かなくても良く、旦那やお手伝いに任せっきりという習慣があると妻から言われ、衝撃を受けました。

私の家はお金持ちでもありません。どちらかと言えば貧乏なのです。仕事にも行かず、家事は母に任せ、一日は大体部屋に引きこもっている状態の妻に疑問が湧きました。「日本は屋台がない。中国には沢山あるのに。楽しくない。」と愚痴を母に漏らしていたこともあります。

そんな私達の間に命が宿りました。可愛い女の子です。これで妻も変わってくれるだろうと期待しましたが、無理でした。子供の面倒は全て、両親が見ることになりました。「離婚してこの子を引き取ろうか」と何度も考えました。両親にとって孫の存在は大きく、とても可愛がっていました。

ある日のことです。両親が保育園の送り迎えをしていたのですが、妻が「今日は私が行く」と言い、出かけていきました。しかし、何時間も帰って来ないのです。心配になった両親は2人を探しました。なんと妻は子供を連れて中国に逃亡していたのです。捜索をすることも難しく1か月後、離婚届けが郵送されてきました。

まさか、妻の方から離婚を申しだされることになるなんて考えてもいませんでした。離婚が成立したことは良いのですが、孫を盗られた悲しみに両親は体調を壊してしまいました。兄は「中国人は日本の国籍が欲しかったんだよ。」と冷静に言いました。

私の心には悲しみと憎しみが沸々と湧きだしました。離婚して時が経っても、娘のことを思い出し、涙が出ます。それは両親も同じ感情です。妻との離婚以来、家族の笑い声は消えてしまいました。

とことん性格が合わないので離婚しました

私は結婚して7年目に離婚した車のエンジニアです。

友人から発展した元妻は地元でも明るくて話し上手な人でした。しかし、結婚してから事ある毎に喧嘩が絶えなかったのです。何が合わないというよりも、全てにおいて反論されてしまうのが原因です。私のしていることも面白くないでしょうし、私が選んだモノに対しても面白くないようでした。

結婚して5年が過ぎた時に、元妻があまりにも帰宅が遅いので叱ってしまったのです。夜中の3時に酔って帰宅した為に、やはり小言を並べました。相手は酒に酔って勢いがあったので猛反撃してきました。

ただ、その時の暴言によって、普段から全部の部分で不満を持っている事が分かりました。生活費、私の出世や容姿、そして私の両親との関係など。その時から、私は元妻に対して心が開けなくなったのです。そういう生活を長くしていてもお互いの為にならないので、私は離婚を決意して元妻に相談しました。

しかし、これも面白くないみたいで話を聞いてみると「私が捨てられた状態になるのは嫌だから、私から離婚したいという事にして欲しい」と言うのです。

離婚が家の中でテーマになったので、私は少しずつ服や家具を減らして行きました。元妻は私に関心が無いようなので、荷物が減った事を気にしていませんでした。そして、普段の暴言を集めた録音テープを残して私は家を去ったのです。

離婚する11ヶ月前です。そこからは、仲人さんを仲介して離婚話を進めて行きました。弁護士を頼むのは大袈裟なので、これは私の方でやめました。

やがて、一度だけ両家の親族を一人ずつ付けた話し合いを試みましたが、全てが私のせいになってます。仕方がないので、録音したテープをその場で公開する事になり、元妻の親族である従兄弟がそれを耳にしたのです。形的には離婚に傾きました。元妻の従兄弟からも「この暴言はひどい」と言われていました。

泣く泣く判を捺した元妻ですが、住宅や家具の整理があるので多少時間が掛かってから、市役所に提出です。そこで初めて他人になれて、離婚が決まりました。

格差のある夫婦だったので離婚しました

私達は年収に格差のある夫婦でそれが原因で離婚しました。

私は年収400万強で、元奥さんは年収が700万弱です。勿論、家庭内でもこの差は主従関係のようになって行くので耐えられませんでした。しかし、一番堪えられなかったのは、自分の能力の低さかも知れません。

結婚して13年が経ちました。元奥さんの昇進が決まったので、私もそのお祝いに出掛けたのです。そこで、私は入店拒否されてしまいました。意味が分からないので聞いてみると「奥様がお越しになられると恥ずかしいと言う理由です」と。

私はショックで言葉が出ませんでした。家に帰ってから、その話を元奥さんにすると「仕方ないじゃない、恥ずかしいんだから」とバッサリと切り捨てられました。

家のローンから車のローンも私が払っているのに、この仕打ちは無いと思い離婚を決断しました。一か月後の14年目の結婚記念日に、元奥さんに離婚を打ち明けようとその場で決めたのです。

結婚記念日の当日、私は元奥さんをレストランに誘ってお祝いのやり直しを提案したのです。柄にもなく元奥さんはお洒落をしていました。席に着いて注文を終えると、妻に離婚届を渡しました。

「もう、やっていけない」と小さな声で伝えたのです。元奥さんは「本気なの?」と狼狽した感じでした。けど、最後はプライドが勝ったのでしょうね。私の申し出を受け取ってくれたのです。

離婚を決意してから一ヶ月で離婚を告げて、離婚届を渡したのが更に一ヶ月後になります。そして、区役所に提出したのが二週間後というスピードでした。

幸いに子供のいない家庭なので、争点が何もないのです。あるとすれば、格差だと思います。離婚してから困った事は、元奥さんの復縁要求です。何度もメールと電話で謝罪されました。義両親からも再三の要求がありました。

私は地方に転勤させてもらったので、自由な気分で過ごしたいのです。出来れば追わないで欲しいと願っています。その為の離婚なので、別れたままにして欲しいと思ってます。

恋愛と結婚とは違うことを思い知らされた

現在アラフォーの男性会社員でバツイチで離婚経験があります。

離婚当事、子供もいなかったので、私も元妻も仕事をして共働き状態。収入はお互い個別で管理して家賃や光熱費、食費は基本的に折半でやってました。こういう状況なので家事全般はお互い半々でしていこうって決めたのですが色々とトラブルがあったわけです。

元妻は私より一回り年下で私と結婚するまで実家暮らしで、家事は妻母がすべてしていたようで、妻は家事が一切出来ないって状態でした。洗濯なんて洗濯機に放り込んでスイッチを押せばいいだけ、その後干すだけだし誰でもできるだろ?って思うでしょうが、そういう習慣がない人にはそれすら苦痛らしいんです。

もちろん食事を作るのだって大変で、食事を作るのはほとんど私の役目になってました。掃除は私もズボラなほうですが、妻はまったくしてませんでした。大体私は週1で掃除機をかける、それ以外は1,2日ごとに雑誌とか片付けていくって感じで特別マメってわけでもないんですが、元妻はまったくしませんでした。

これが同棲や結婚前ならいいんですが、これから将来を共にしていく女性がこんな状態でいいのか?と悩みました。元妻にもそれとなくいったんですが、疲れているといって家事を覚えようともしません。

共働きで元妻も仕事をしていて大変なのはわかりますが、それは私も同じです。一年ほど様子を見ましたが元妻の態度に変化がなかったので離婚を決意し、離婚したいことを伝えました。

元妻からしても親の庇護の元でのほほんと暮らしていた頃と比べれば私に小言を言われるのに不満だったようで、離婚をOKしました。お互い浮気などはしてなかったし性格の不一致ということで慰謝料はなし、財産分与というほどの貯蓄もなかったので金銭的なトラブルはなく離婚できました。

子供がいればもう少し離婚で揉めたんでしょうが、幸い子供がいなかったし、まだお互い若いしってことで気持ちにも整理がつきやすかったので離婚できたんだと思います。

元妻は若かったので恋人としては性的魅力があったんですが、伴侶として考えるとそれだけではダメってことをこの結婚で思い知らされました。

義両親を立て過ぎる嫁に対して離婚を言い渡しました

初めまして、40代男性で会社員の者です。先日、離婚が決定して市役所に届けを出したので書かせて頂きます。

私が離婚した理由は、義両親を元嫁が立て過ぎるのが理由でした。制度上は性格の不一致になるのでしょうが、元嫁は私の両親に結婚後は一度も会いません。しかし、財産だけは口々に欲しいと言います。この事に不快になった事が離婚への第一歩となりました。

私の子供が生まれても、義両親に会わせる事はするのですが、私の両親には会わせません。また、私の両親から電話があった場合でも電話で会話する事もありませんでした。GWは15日間くらい義実家に帰省し、盆や正月は20日間くらい滞在しています。

きっと、これは元嫁が一人娘だったのが原因だろうと推察しています。こういう事が長く続くと、私も元嫁の心境が掴め難くなってしまうのです。掃除や洗濯を自分でしているのは良いのですが、段々と元嫁の必要性も感じなく始めました。

そこで、メールから「これ以上滞在していると離婚を考える」と送信したので、慌てて義両親が送り届けてきたのです。こういう事が何度も繰り返し行われ、メールの効果も薄れて行きます。私の方も元嫁のいない生活に慣れてしまったので、自炊に自信が持てるようになりました。

或る日、子供を連れた元嫁が義実家から帰ってきたのですが、その時は35日間も義実家に泊まっていたのです。これらの事を私は元嫁に伝えて、改めて離婚に応じてくれるように頼みました。

元嫁は首を縦に振りませんが、私からしても子供が父親の姿を忘れて泣くような生活はさせたくないのです。元嫁は不利になったと見て、義両親を呼び寄せましたが私に修復する意志などありません。

この段階で、元嫁を義実家に子供ごと連れて行ってもらいました。私は職があるので、子供の面倒は難しかったです。

そして、結婚してから8年と離婚話を始めてから2年で離婚成立です。毎月の養育費に3万円であちらが手を打った模様。離婚は案外と簡単に成立してしまいました。後悔はしていませんが、子供の顔を毎月一回見るのが楽しみで仕事に励んでいます。

宗教にハマった妻の行動に呆れてしまった

私が離婚してしまった原因は妻の異常な行動に理解ができなくなってしまったからです。

妻はもともと、気の弱い性格の持ち主で人間関係を築くことが苦手でした。そんな妻でしたが非常に優しく家庭的だったので私は結婚生活に満足していました。

しかし、妻は流産をきっかけに心の病にかかってしまいました。毎日のように泣き、普通に会話することも徐々に少なくなっていきました。そんな妻に対し、私も精一杯支えようと努力をしました。

もともと、自分のことを話さない妻だったのですが、病にかかってからは更に自分の感情を閉じ込めていくようになりました。周囲からは「もう離婚した方が良いのではないのか」と指摘されるようになりましたが、離婚するという行為は妻を捨てることになります。そんな勝手なことは許されません。

妻が元に戻るまでは私も耐えてみせると心に決めました。

私が仕事の間、妻はよく出かけていると近所の方から聞きました。友人も少なく、塞ぎこみがちの妻は一体何処へ行っているのだろう?と疑問を持ちました。私が妻に聞いてみると「お祈りをしに行っている」という答えが返ってきました。

「お祈り」という言葉を聞いて、嫌な予感がしました。妻の部屋に行ってみると、ある宗教の本が至る所に散乱しているのです。妻は私に隠れて宗教に入っていました。この宗教がきっかけで妻と離婚することに繋がってしまったのです。

宗教を続けることには猛反対をしました。しかし、妻はもう立派な信者へと変わっていました。「あなたは神を否定するのですか?」そんな言葉を発した時は妻に対し、恐怖心さえ抱きました。

妻には就寝前にゴソゴソと何かを唱える習慣が生まれました。その声は私にとって耳障りでした。「悪霊よ、私の前から消えたまえ」、「主よ、感謝致します」と唱える妻の表情は何かに心を支配された人間そのものです。

しかし、私もそれくらいで離婚を考えたわけではありません。離婚を決意した原因は宗教の会費の問題です。妻の行動には慣れてきたのですが、ゴミ箱に捨てられていた領収書を発見して私は固まりました。なんと1年契約が50万円を超えていたのです。

専業主婦の妻ですから私のお給料から払っているに違いありません。「こんな多額の金額まで払って宗教を続けるなら離婚だ!」と妻に厳しく言いました。しかし、妻の対応は驚くものでした。「神の方があなたよりも大切です。あなたと神なら神に遣えます。離婚しましょう。」私よりも宗教を取ったのです。

私は呆れてしまい、もう一緒にはいられないと確信しました。その後、私たちは離婚をしました。今、考えると妻の心は宗教に頼らなければならない程、闇に覆われていたのだと気付くことができました。

私にとって妻との離婚は今までのことの多くを後悔する体験となりました。

私の度重なる浮気で離婚が決定しました

私は会社員で40代、離婚経験を持つ者です。最近、離婚が成立したのでご報告がてらに記してみたいと思います。

私は30代前半で結婚しましたが、その頃から女性問題で当時の妻に何度か反省文を書かされていました。「今度したら離婚ですから」という言葉が怖くて、不倫していた女性とも縁を絶っておとなしく生活していたのです。

ですが、やはり女性好きが災いして会社の後輩に手を出してしまいました。これは、当時の妻に発覚する事は無かったのですが、かえって発覚しなかった事が上手く行くと思い込んでしまったのです。

離婚の直接の原因になったのは、二年前です。

取引先の事務員と仕事上のメール交換をした際に、食事に誘われてしまいました。断れば良かったのですが、そこは女性好きなので断ったらいけないと思い勇んで出掛けてしまったのです。

ところが、妻から何度もメールがあるのを放置してしまったのです。当日は結婚記念日だった事をすっかり忘れていました。取引先の女性にも良い恰好を見せたかったので、この夜はホテルに一緒に泊まりました。

結婚記念日に外泊した事実を嘘で固めていたのですが、携帯を調べられて一緒にベッドで記念写真を撮った事を当時の妻に見られてしまいました。妻はその写真を自分の携帯に保存して、証拠としたのです。

そこから、離婚調停が始まって別居という形になったのです。あの時、やめておけば良かったと散々後悔しても当時の妻には伝わらなかったのです。何度も手紙を書いても戻ってきて、携帯電話も解約していたみたいです。

結局は調停後に離婚が成立しました。調停中に良い雰囲気で戻ってきてくれる期待もあったのです。ただ、当時の妻から言われた言葉が全部をひっくり返してしまいました。「浮気は心の殺人だと思います」と。

どんな事をしても悲しくて気持ちが戻らない事を力説していました。私も真面目にやっている事を何度も力説したのですが、調停員の印象も変える事は出来ませんでした。

離婚してみて、初めて誰が大切だったのか?分かるような気がします。どんな人でも離婚してしまったらおしまいです。